日本の友人の元から、手紙とたくさんのお菓子と文庫本とだいすきなドリカムの新しいアルバムを抱えて、トトロがやってきました。
う、嬉しい・・・!!
手紙を読みながら、泣きそうになりました。
こうやって、たくさんの人に支えられてあたしは生きてるんだわ。
感謝です。
活字だいすきなあたしにとって、時間はたくさんあるのに読むものがない状況は結構つらく・・・。
「お任せ」で本も選んでくれていたので、普段の自分だとなかなか手を出さないものもあったりして、こういうの楽しいなぁと思った。
こんなにたくさん送ってくれるなんて・・!!
何から読もうか、わくわくしちゃいます。
お菓子もひとりで食べるのはとてもとても勿体ないので、日本の味に飢えている隊員とわけわけしながら頂こうと思います。
ちょっとつまみ食いしたけど(!!)、やっぱり日本のお菓子っておいしい・・・。
来週は長旅に出るので、本も、お菓子も、音楽もi Podに入れて、旅のお供にしよう。
今日から、ドリの新しいアルバム、ヘビーローテーションで聴きます。
すきな音楽が生活の中にあると、ハッピーになるような・・・!!
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1年後の今日、ニカラグアを去ります。
明日は、ニカラグアで過ごす最後の6月20日。
全てのお祭りが、誕生日が、あと1度ずつしか訪れない。
そうやって、きっと1年はあっという間に過ぎていくんだろう。
この1年、今になって思うと本当に早かった。
「ボランティア」という立場ではあるけれど、あたしは、自己満足ではなくて、やっぱり自分の活動に成果なり効果なりを求めながら活動したいと思ってる。
国の税金を使ってここにいるからには、それを求めるべきだと思う。
国内でも、協力隊事業に対する批判があるのだって知ってる。
だからこそ、「投資効果の高い」活動をしたいと思ってる。
そこを求めない活動に、どんな意味があるのかわからない。
そういう思いがあったからこそ、葛藤も大きかった。
活動は思うように進まない。
自分の活動にどれだけの価値があるのか、何を残せるのか。
そうやって、迷いながら、地団駄踏みながら、立ち止まりながらやってきた活動が、ここにきてやっと基盤となって、動き出せるような気がしてる。
ここのところ、時間が経つのが本当に早い。
子どもとの関係、職員との関係。
ようやく、「仕事をしている」という実感が持てるようになってきた。
「楽しんで」仕事をすることができるようになってきた。
「言葉の壁」を感じることがほとんどなくなった。
「ボランティア」としてではなく、「ひとりの教育担当者」として意見を聞いてもらえるようになった。
子どもを、かわいいと思えるようになった。
ふと、大きな声で笑ってる自分に気づく。
この1年を振り返ると、イライラすること、悔しいこと、腹が立つこと、もどかしいことが山のようにあったけれど、その中にいても、「抜け出せる」と自分に言い聞かせながら、前を向いてやってこれたのは、そばにいてくれたニカラグア人のおかげであり、日本から応援してくれている友だちや家族のおかげだなと、心から思う。
先輩隊員が口を揃えて「1年が過ぎると早いよ」と言うもんだから、ここのところ、あまりの時間の経過の早さに、ドキドキしてしまう。
あれもこれも、やりたいことはたくさん。
今日、公園に子ども達を野球に連れて行ったときのこと。
一緒に引率していた教育担当者に、「これまで働いてきた職場にいたいろんな国のボランティアは、『見てるだけ』だったけど、とみえは全然違う。一緒に働いて、意見を言って、すごく助けてくれてる」と言われた。
単純に、すごく、嬉しかった。
あたしの中で、ずっと迷いがあった。
短期でやって来るたくさんのボランティアと、2年間を過ごす自分との間に、どれだけの違いを持たせることができるだろう。
あたしにできることはなんだろう。
あたしに課されたことはなんだろう。
今、ここに来てようやく、自分の活動に意味づけをすることができるような気がする。
あたしは、毎日ここにいて、一緒に仕事をして、ぶつかっていなければ、情報を共有することの重要性や、時間割をきちんと毎日こなすことの重要性を伝えること、そして気付かせることはできなかったと思う。
組織としての基盤が根付きつつあることを、単純に嬉しいと思う。
とは言え、活動はまだまだ発展途上で、解決していかないといけない課題だって山のようにある。
残された1年。
あたしは、どんな思いで活動していくんだろう。
全ての子どもを愛することも、救うこともできないから、せめて、あたしの目の前に現れてくれた子どものために、できる限るの誠意をこめて活動していきたいなぁと思う。
1年後、帰路に立ったあたしが、泣いているのか笑っているのか。
どんな気持ちでそこに立つのか。
後悔だけはしないように、やれることをやっていこうと決意したわけです。
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先週、マナグア市内にある最終ゴミ処理場「チュレッカ」へ行って来ました。
危険地区ということで、警察官が同行しての訪問となりました。
ニカラグアには日本のようなゴミ処理施設はないので、基本的に全てのゴミを、このチュレッカへ運びます。
処理施設がないので、ひたすらゴミを積み上げていくだけ。
積み上げられ、積み上げられ、その高さはおよそ30メートル。
ゴミだけを放置すると飛んで行ったり、トラックに巻きつくとのことで、トラックでゴミが運ばれる度に、山を削って土をかぶせるらしい。
見渡す限りのゴミ。
そして、自然とあがるメタンガス。
このメタンガスが原因で、自然発火しているところもちらほら。
写真だけでは、あの強烈な匂いや、呼吸を阻む煙の感じが伝えられないけれど。
市の職員が50名ほど勤務していて、それ以外は一般の人。
ゴミの中から、ペットボトルや金属類などの有価物を拾って売って生活している人が、1500人ほどにものぼるんだとか。
地方都市や、バリオ(貧困層の住居区)から出ていた人がほとんど。
また、有価物だけでなく、生ゴミから食べ物を探して食べたりすることもあるそうです。
ゴミの中には、病院から出たと思われるゴミも。
剥き出しの注射針が散乱する中、人々はぞうりで作業をしています。
到着したてのトラックに群がる人々。
あたし達にとってはただのゴミ山に見えるけど、彼らにとっては、大事な収入源。
大人だけでなく、子どもも働いています。
ひとりの少年に声をかけると、父母と一緒に毎日バスでゴミを拾いに来ていること、13歳であること、ペットボトルが1キロ1ペソ(約5円)で売れること、以前は学校へ行っていたけれど現在は通っていないこと、学校に通いたいという気持ちはないことなどを話してくれ、「もう行かなくちゃ」とまた、仕事へと戻っていきました。
13歳のその体の小さなこと。
その瞳の大人びたこと。
チュレッカ内に住んでいる人もいます。
チュレッカは国の土地なので、もちろんこの中に住むのは違法。
だけれど、実際には水や電気も引いてあり(おそらく盗電)、政府も黙認している状況だとか。
もっとたくさん掘っ立て小屋があったけれど、中は清潔そうに見えた。
テレビがある家もあった。
奥に見えるのは、マナグア湖。
完全に汚染が進んでいて、生活用水として使うことはできない。
ニカラグアだけじゃなくて、フィリピンのスモーキーマウンテンもそうであるように、途上国のゴミの現状はこんなものだと思う。
そして、ここで考えさせられるのが、ゴミ(環境)の問題だけでなく、労働(人権)の問題。
こういう場所で働かざるを得ない人がいる。
今、ニカラグア中が言う。
「仕事がない」と。
メタンガスを吸い、ガラスや注射針を踏む危険性を背負い、それでも、ここで働かないと、生活していくことができない人がいる。
そして、そこから得られる収入は1日100ペソ(約500円)程度。
あたしが日本に生まれたことは、きっと当たりくじに当たったようなもんなんだな。
もし、あたしがニカラグアの貧困層に生まれていたら、ここにいるのはあたしだったのかもしれない。
もし、彼らが日本に生まれていたら、彼らは仕事を選び、そこに達成感や満足感を感じながら働くことができたのかもしれない。
もっと、もっとニカラグアのことを知りたいと思った。
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今月末の七夕祭りに向けて、リコーダーでの「きらきらぼし」を練習中。
毎日、朝の会のあとに、30分ほど練習をしてます。
練習開始から、約10日。
「今日もリコーダー練習する?」とわくわくしながら寄ってくる子ども達。
最初は「ドドソソララソって、スペイン語でどういう意味?」と聞いていた子ども達が、少しずつ上手に音を出せるようになって、ひとりでキレイに演奏できるようになった子もちらほら。
早速、完璧にマスターしました。
壁に音階が貼ってあるので、みんな壁のほうをむいて練習中。
完璧に覚えた子に、「この子もう少しだから、一緒に練習して」と声をかけたら、ちょっと離れたところでグループで練習開始。
おかげで、まだ上手に指を動かせない小さい子たちの指導ができました。
助け合って練習してる!!と感動したひとコマ。
子どもって、すごいなぁ。
「自分ができないこと」はやりたくない。
ひとつのことを継続してできない。
人の話を聞けない。
そんな彼らだから、多くを期待せずにやってみようと思った。
とにかく、「何かに向けて、みんなで一緒に練習をする機会」を与えてみたいと思った。
形になっても、ならなくても。
みんな、すんごい頑張ってくれてます。
とは言え、まだまだ練習が必要な子どももたくさん。
「やりたくない」って言い出すこともしばしば。
だけど、お母さん達が見に来てくれて、そこで、自分が頑張った成果を見せることができたら・・・。
わくわくしちゃいます。
子どもの中のきらきらを、お母さん達が見逃さず、しっかり心に留めてくれますように。
そして、ニカラグアの子どもたちの為にと、大切なお小遣いの中から寄付してくれたみんな、職員の皆さん、今回のリコーダー購入に、その一部をあてさせて頂きました!!
ひとりずつの名前をつけ、みんな大切に使っています!!
本当にありがとうございました!!!
今日のにこにこちゃん。
今日の図工クラスで作った、粘土で動くおもちゃ。
みんな20分ほどで遊び飽きてたのに、ひとりでずっと「きゃっほー」「わはははは」って言いながら、遊んでる姿に、ほっこり。
そんな子どもの姿を見て、教育担当者が爆笑してました。
その姿にも、ほっこり。
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子ども達が、生きる為に、そして自分を守る為に身につけた術なのだと思う。
配属先の子どもたちは、平気で盗む。
そして、嘘をつく。
だから、小さな事件は毎日のように起こる。
誰かのビー玉がなくなった、子どもが作った作品が壊された、授業用の教材や道具がなくなった、その他諸々。
そして、絶対に「犯人」は出てこない。
彼らは「涙を流して」嘘をつくし、「誰かに罪をかぶせて」嘘をつくし、「『神に誓って本当だ』と言って」嘘をつく。
そして、今日も事件が起こった。
ひとりの子どもが、「プルセラ(腕輪)が4つ無くなった」と言う。
あたしの配属先では、子ども達にプルセラ(腕輪)作りを教えている。
施設創設者のアメリカ人男性がアメリカを中心に販売経路を持っていて、施設運営資金の一部にもなっている。
プルセラを作った子どもは、作品の難易度と完成度によって、ひとつ10コルドバ(約50円)から15コルドバ(約75円)で買い取ってもらうことが出来、その売上金は、そのまま子どものお小遣いとして自由に使うことができる。
数日前より、子どもの居室に鍵つきの棚を入れ、子どもが自分のものを自分で管理できるようになった(鍵は職員室にて保管し、必要に応じて職員が子どもに渡す)。
そして一昨日の夜、そこに入れていたプルセラがなくなったのだとか。
誰に聞いても、もちろん「僕じゃない」と言う。
「だって、そこには鍵がかかっているじゃないか」と。
ここでも全員が言った。
「神に誓って僕じゃない」と。
そして、「あいつ(自分以外の子ども)が怪しいんじゃないかな」と。
そして、今日、ひとりの子どもの母親であり、別の子どもの叔母である女性がやって来た。
子どもに会いに来たのだが、そこで、彼女が「○○は、あんなに上手にプルセラが作れるようになったのね」と言うのを、盗まれた子が聞いていた。
そして、あたしのところへ走ってきたのだった。
「あいつは、まだプルセラを作れない。僕のを盗んだんだ」
母親が、そのプルセラを持参していて、すぐに犯人がわかった。
土日で自宅へ帰った際に、母親に渡していたようだ。
盗んだ子どもも言い逃れようがなかった。
「△△(盗まれた子ども)が、鍵が要るって」と教育担当者に言って、勝手に鍵を使って盗んでいたらしい。
頭をもたげて、部屋の隅っこで、盗まれた子が怒っているのを、じっと聞いていた。
施設長からも、その後指導を受けていたが、時が経てば(2.3日もすれば)、きっと同じ状態に戻るのだと思う。
ニカラグアで生活をしていると、なんて泥棒と嘘つきと無責任な人間の多い国なんだろうと思う。
ニカラグア人が「それは文化だ」と言い張るほど身の周りにありすぎて、もはや、「悪いこと」だという認識はほとんどないように感じる。
自分自身のそうした行いで、自分自身も被害に遭い、「やられたものは仕方ないか」と思いながら生活をしてる。
だけど、それを「文化」と言い張るのなら、おそらくこの国は発展することなどできず、貧困も「文化」だといわなければならないのではないかという気さえする。
いやぁ、異文化の中で生活するって難しい。
生まれてずっとこの「文化」の中で生きてきた子ども達に、何をどこまで伝えられるんだろう。
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